豊島屋人4 「鳩サブレー」で高名な豊島屋の会長 久保田雅彦さんが2月6日に永眠されました。生き方の美しい、イキな鎌倉人でした。とても残念です。
 
久保田さんは菓子店・豊島屋の三代目。おじいさんにあたる初代の始めた「鳩サブレー」を、日本中知らない人はいないと言われるまでに育て上げました。国内はもとより海外に行っても食品について学ばれ続けたようで、お菓子を試食すればその材料や包装に至るまで語れるほどの知識をお持ちでした。商いだけではなく、文章を書き、音楽をたしなみ、料理し、まちの歴史を語る。幅広い趣味と深い見識を備えて人脈も広く、ユーモアたっぷりのお話も楽しくって聞きいってしまいます。坊主頭に人懐こい笑顔、背筋の伸びた姿が輝く、とにかくスケールが大きい人でした。

rekishi08 鎌倉子育てガイドは発足したばかりの時分から応援していただきました。主催したワークショップ、100年前の鎌倉のまちの様子をこどもたちに伝える「ひいおじいちゃんの鎌倉」では、むかしのまち、むかしの商店の語り部役をお引き受けくださいました。

昭和の初めの由比ヶ浜の海岸は今よりずっとビーチが広く松原も広がって人が集える場所だったこと、若宮大路まで松並木が続き、二の鳥居付近には川が流れていたこと、その周辺を外国のお客様からジボ(地元の人)までが行き来している様子を語られ、まちを活写しました。「豊島屋はかつてかわらけせんべいを売っていて、これがおせんべいの型。これを使って作ってたんだよ」などと身振り手振りを交えてお話しいただくと、まるで目の前で作っているように感じられ、こどもたちも身を乗り出して聞いたものです。

豊島屋外数年前、長年勤められた商工会議所の会頭を退かれ名誉会頭になり、豊島屋も4代目であるご子息に社長職を譲り会長になられました。後に続く人のことを考えてのことだと思います。

「当店は鎌倉のお店、ここで育てていただいた。商いの地域や量を広げることより、横浜藤沢を含めて鎌倉周辺のお客様中心にご愛顧いただくことが大切」とよく言われていました。その姿勢は直接の後継者のみならず、わたしたち「まち」の後輩にとっても学ぶことが多かったのです。時として叱られることがあっても、応援の言葉と理解できてありがたかったものです。

これから先「まちの先輩ならどう考えるだろう?」と思うことがあっても、もう聞きに行くことはかないません。大きな存在が逝ってしまいました。わたしたち後輩は寂しさを抱えて、時々天を仰いであの輝きを思い返し、今の鎌倉の地を迷いながら進んでいくことでしょう。

投稿者:CanCan

豊島屋本店の紹介記事は >>こちら

トラックバックURL

コメントする

名前
URL
 
  絵文字
 
 
コメントの前に必ずコメント・TBについてをお読みください。
※内容によっては掲載できない場合があります。
※コメント欄でのお問い合わせには対応できません。
 当ブログは記事に書かれたお店・施設等ではなく、コソガイが運営しております。
 詳細は取材先へ直接お問い合わせください。コソガイへのご連絡はご連絡フォームへ。

Copyright ©  NPOコソガイ(鎌倉子育てガイド) all rights reserved.