防犯・防災

3.11の後、地震の破壊力や被害の大きさを見るにつけ、「今自分たちのいる地域にこれほどの地震が起こったら」と考えることが多くなりました。揺れから身を守り、津波や火災など続いて起こりうる災害からどう逃げられるのだろうか?と。その一方で多くの方から防災バックや、住居の地震への備えについて不安の声も聞きました。

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「防災バックを用意したいけど、何が必要で、どこで用意すればいいかわからない」

「家具を留めたいけど、留め具はどこで売っているの?」

「言われている避難所は避難路が危険そう。ほかのところではいけないの?」


jacket_hyou01 そこで私たちは地震への備えを調べ、子どもでもわかりやすくアニメにすることを考えました。制作は美大の学生(CanCanの娘デス(^^ゞ)に依頼、制作者の被災地支援の経験も生かされています。

で、防災アニメ「にげろ〜地震が起きたら〜」「にげろ〜準備編〜」DVDバージョンが完成。DVDは学校や幼稚園保育園にも配布を予定しています。

すでにYouTubeでも公開中 >>地震が起きたら準備編

これを参考にしながらコソガイのスタッフが災害について考え、実際に防災バックを準備する様子をレポートします。

1.地震が来たときどうしたらよいか、どんな準備が必要かをイメージする

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大切なのは準備と実際に落ち着いて動くことだと思いました。アニメを見て、どう動くかをイメージします。

●すぐ机などの下に逃げること(机がないときは周囲に落下や倒壊物、ガラスなどのない所に逃げる)

●揺れが収まったら情報を収集すること

●津波から避難するため急いで高台に避難すること



準備と練習がないとできません。アニメを見て子どもと一緒にやってみました。

2.揺れから身を守るため、家具や窓の防災を考える

IMG_3095 IMG_3097 家具は設置場所に合わせて転倒防止します。窓はガラスの飛散防止が大切。

●突っ張り棒で天井との間を固定しました。

●壁から固定具でとめました。

●窓は飛散防止フィルムを張ります。


家具の転倒防止材や飛散防止フィルムはホームセンターで売っています。わからないことは店員さんに聞きました。

3.住んでいる場所にあった避難場所、避難路の確認

IMG_2442 海や川から近い津波の恐れのある場所では急いで避難しなければなりません。
渋滞や事故を考えると車での移動は不可。
逃げるべき高台など避難場所と安全な避難路(低いところや崖地等の近くは通らない)の確認や徒歩でも持っていける避難グッズの準備は必要だとおもいました。

「標高と海や河川からの近さは避難を考える手がかりになりそう」

「鎌倉市のハザードマップや海抜マップで風水害や津波の恐れがある場所か、避難場所はどこかを確認できるよ、マップはインターネットにあるみたい」

「任意の場所の標高を知るにはMAPIONが便利」


kamakura_bousaimap ●鎌倉市のサイト内の防災ページに様々なマップがあります。まず自分の家が地震の際、どのような避難を要する場所か、全体を把握しよう。

鎌倉市防災マップは市のサイト内にあり広域避難場所、津波襲来時緊急避難場所、風水害避難場所などがマーキングされています。 鎌倉市津波ハザードマップでは材木座、由比ヶ浜、稲村腰越のなど海側部分が細かく表示されます。海抜マップは市内全域の高低が見渡せます。


●危険地区から自宅までの距離や標高まで、「自分の避難ルート」を確かめました。

市のサイトで詳細が出ている場所以外は、自宅の被災予測のためインターネットの便利ツールを利用します。標高や河川からの距離を知るには、インターネットの地図サービスサイトMAPIONが使えます。

mapion-u MAPIONの地図で任意の場所を右クリックすると小窓が開きその地点の住所や写真のほか、海抜と地図の中心からの距離などが表示されます。

自宅の住所を入れて右クリックで標高を調べ、最寄りの川や海岸、避難場所を地図の中心に表示することで、そこから自宅までの距離をそれぞれ調べられます。


●鎌倉市のマップとMAPIONの機能で、どのような災害の時どこに逃げたらよいか、地震の津波の時、高台まで逃げる必要があるかどうかを見極めます。


  • 一時避難できる場所を探します。鎌倉市のハザードマップでもマークされている津波からの避難場所のほか近所の公園、自治会館などが考えられます。防災倉庫があるところが一応の目安になりそうです。鎌倉市のマップに出ていない場所もあります。
  • 津波の可能性のある地域では、まずは高台に逃げることが大切です。最寄りの高台、避難場所になるところを実際に見ておきます。
  • 避難場所までの距離や避難場所付近のようす、避難路に低いところがないかどうかもこの組み合わせを使って確認しました。

MAPIONで避難場所と自宅までを印刷、ルートをマーキングすると、マイ避難路マップになります。マップを持って家族で実際に避難場所まで歩いて行ってみましょう!

4.家族の連絡方法を決める

電話やメールも使えない震災時。どう連絡を取るか家族で決めておこう! 災害伝言版の使い方も確認しておかなくちゃ。テスト体験できる日もあるようです。ツイッターを利用するのもアリかな。こちらも使い方に慣れておく必要があります。

自宅から避難所などに移動する場合は、安否とともに移動先を自宅のどこかに書いて張っておくと、後から戻ってきた家族が確認しやすいです。

5.防災バックの準備

「被災地では津波から逃げることで精いっぱいで、身の回りの物程度しか持っていけなかったようだ」

「自衛隊が物資を持って救援に来てくれるまでの水が引かなかった3日〜1週間、避難所では備蓄だけでしのいだようだよ」


IMG_4810 復興支援で実感したことを参考に、避難グッズは持って逃げるときのもの「すぐ使う用」と、その後の生活で必要な「避難生活用」に分けて考えました。まずはにげることに専念。津波や火災をやり過ごして少し落ち着いてから避難生活用に準備したグッズを使うイメージで。防災グッズはホームセンター等で販売しています。防災用品のセットを販売するお店もあります。

(株)ヤマト鎌倉市玉縄5-3-10467-46-6614小売り、配達あり
(株)渡辺武商店藤沢市遠藤2017-50466-87-8911自治会向け
 ホームセンター コーナン 鎌倉市岡本1188-1 0467-42-8301 量販店、
防災コーナーあり

防災バック「すぐ使う用」

bag 徒歩で急いで移動するため、生きのびるのに必要な軽いものだけバッグに入れ、手の届くところに置いておく。重いものは長期用へ。ラジオ、懐中電灯(電池入り)、防寒具は必需品。ちょっとした食糧(保存できるクッキーなど)が入っているとさらに便利。
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携帯電話(充電器)、貴重品(現金など)常時使っているもの、手元にあるものは、にげる直前に詰める。

防災袋「避難生活用」

hinanjoyou 避難所などで生活する上で必要最低限のものを準備する。取り出しやすい屋外で濡れない工夫をして置いておくと便利。ガレージや庭にガーデニング用コンテナを利用して入れるのもアリ。
  • 水や保存食は長期保存がきき、食べやすいものを。カンパンは食べにくいのでカロリーメイトなどが意外に良いかも。水は室内に保存しておいてもよいのでは?
  • バックに詰める時は、まず大きなゴミビニールなどに入れ、それをナップザックに入れると水漏れやゴミ、ほこり、虫などの侵入を防きやすい。

6.まとめ

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防災バックに何をそろえたらよいか、どこに置いたらいいか、家具の固定など家庭内で何をすればよいか、どこに逃げたらよいか。共通する絶対的な正解はないような気がします。それでも復興支援のため被災地を回るにつけ、子どもを含めてひとりひとりが準備をする、災害に対する緊張感をもつ、対応を家族や地域の人と一緒に考えることは「生きのびる」ために大切だと感じました。

付録:防災グッズについて

ホームセンターで今回見つけた防災便利グッズ♪

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LED懐中電灯でランタン
(2WAY)
480円(単4電池3本別売)

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エマージェンシー・ブランケット
398円
アルミを伸ばしたシート。
毛布のように使用する。
折たたむとコンパクトにしまえて
軽くて暖かい。

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6年保存水。298円
純粋な蒸留H2O
常温で6年もつという。

今回私たちが用意した防災グッズ一覧(例)

品目用途今回の金額
ヘルメット頭を保護する。建物から出るとき、建物のそばを通る時、特に活用。バックに入れずに、避難路の近く(玄関など)に準備。¥1,000〜
防災バック「すぐ使う用」
屋内で、すぐ手の届く場所に。各階にあると動きやすい。ナップサックなど背負うタイプは両手が自由になって便利。
懐中電灯暗がりを照らす。ランタン型もあると便利。乾電池式の場合は電池を入れておく。¥480
ラジオ震災時の情報収集用。乾電池式の場合は電池を入れておく。¥980
乾電池長期の停電に備えて、乾電池は各種準備。封を切っていない電池パックは備蓄に便利。¥1000
救急箱止血や傷の保護を目的に軽めのもの。常備薬がある場合も入れておく。箱ではなく、ビニールなどに入れると持ち出しやすい。¥1000
防寒具逃げだす時すぐ使える、小さくなってコンパクトなものを。エマージェンシーブランケットが人数分あると便利。¥398
貴重品お財布、現金など、すぐ使うものを。にげる直前に詰めて持っていく。
携帯電話にげる直前に詰める。
笛など建物内などに閉じ込められた際、救助を呼ぶ。音の出るもの。¥300
防災袋「避難生活で使う用」
屋外の倉庫、コンテナなどに準備すると取り出しやすい。
スリッパ(履き替え用の靴)裸足で逃げ出す場合もあるので、靴類のはき替え。避難所などでは室内用になる。
レインコート荒天の屋外作業に。¥500
ラップやビニール袋食品や水分の配給受け取りように。粘着力を利用して包帯の代わりに。風雨よけに。大きなものは防寒にも使える。¥198
筆記用具連絡用に。マジック、鉛筆、メモ帳。
ガムテープ復興作業、建物の一時補修、荷物の移動などに。¥278
軍手救助や復興作業用に。防寒としても。
携帯充電器避難生活用に。(手動発電式充電器もある)
保存食、水調理器具がない場合もあるので、食べやすいものを。カロリーメイトなどもよい。水は室内に保存しておいて、後で取りに来てもよいかも。家族の人数x3日分ぐらいが目安。¥1000
おむつ、生理用品などあらかじめ防災袋に入れておくと便利。
ピクニックシート泥よけに、敷物としても。防寒具としても使える。
倉庫「瓦礫片付け、復興作業時用」
倉庫や物置に備蓄しておき、後で使う。
ロープ建物の補強や復興作業用。
ブルーシート敷物、風雨よけ、防寒。¥348
土嚢(どのう)がれきや泥入れ。
スコップ救助や復興作業用。
携帯用コンロやBBQ用品炊き出し用。(カセットも)

投稿者:CanCan

2012年02月21日 │ 防犯・防災  │ コメント(0)│ トラックバック(0)  twitterでつぶやく
〜石巻と南三陸の11の物語
石巻と南三陸16月24,25日、有志数名とともに再び石巻に行ってきました。夜通し車で北上し、地方都市である石巻の普通のまち中をしばらく走ると、突然日常が断ち切られて「あの光景、津波に破壊されたまち」が目の前に広がります。

それでも道が整備され、不自由なく車で通行できます。全壊した港に近い地区では、ぼこぼこに壊れた車が広場に積み上げられ、鉄筋や木材などガレキは集積場所に集められています。万里の長城のようなガレキ、大量に発生してまとわりつくハエ。その先に土台だけが建物の痕跡を語る、荒涼とした広い空間も出現しました。ガレキの撤去や片付けが進んだのです。市民と自衛隊、ボランティア、業者の懸命の作業がまちを片付け、風景を変え続けています。



被災地で出会った物語を書いておきます。人が前を向いて生きて行く姿は、たいへんそうだけど、心を打たれる強さがあります。



石巻と南三陸2津波の被害でお引っ越しするお宅の倉庫の片づけを手伝いました。このお宅の奥さまも津波の際に歩道橋に登って辛くも津波から逃れたのだそうです。

あの日「鎌歩道橋」には、7〜80人が逃げ上がり、津波の水が引かなかった2日間、歩道橋の上や屋根伝いに移動した事務所で人々は寒さに震えながら声を掛け合って過ごしたのだと聞きました。「生と死を分けたのは紙一重の偶然。おかげで生き残りました」。



石巻と南三陸3この地域では自宅の2階に逃げて助かった人も多いのだとか。そうして一階のみ被災したお宅の多くは、少しリフォームして2階に住み続けるのだそうです。「ウチは土台が傾いてしまったので、引っ越します。それでも一家みんなが無事でした。だからいつかこの場所で家を再建します」とお手伝い先のご主人はおっしゃいます。

お母さまは長年使った母屋の家財道具を名残惜しそうに眺めていました。「引っ越し先は狭いから全部は持っていけないの」。鎌倉から持参した手作りバックを渡すと、顔をほころばせて、まだ使えそうな料理道具を大切そうにその中に入れました。「これは持って行けそう。ありがとうね」。



石巻と南三陸4南三陸町を訪ねました。石巻から車で50分ぐらいの距離です。高台にある避難所の庭で復興市が開かれていました。月末の日曜日に開設される市では、水産業者のワカメ、サケ等の加工品や手作りの地元の菓子などを売る屋台、日本全国から支援のために出店した模擬店が軒を連ねて人が集まり、活況を呈しています。

「このタコやサケは、冷蔵庫にあったまま被災しました。震災の後、探し出して守ってきたものです。どうぞ食べてください」。…はい。サケ4切れと水ダコ買わせていただきました!



石巻と南三陸5しかし復興市を離れると南三陸の中心部は人気も音もない廃墟のまち。ガレキは手付かずのまま、ねじれた鉄筋や木材の間から子どものおもちゃや、卒業アルバムなど生活がしのばれる品が見え隠れしています。最後まで避難を呼びかけ続けた放送で高名になった市の防災庁舎(鉄筋だけ残っている)の前に簡易祭壇ができていました。

今回のボランティア有志は19歳、22歳の学生さんたちも含んでいます。祈りをささげた後でガレキを見ながら若い彼らがつぶやきました。「何かできることがあるんじゃないか、力になりたいと思ってここに来ました」。



石巻と南三陸6そしてその隣はガレキに囲まれた中で営業を続けるガソリンスタンド。「電気が復旧していないので、お客さんが来ると発電機を動かして給油します。震災後1週間で修理して、以来ずっとこうして営業を続けています。復興を支えたいですから」。



石巻と南三陸7石巻と南三陸8ボランティアセンターでは流れた写真を洗浄して復活させる作業が進んでいます。それは「思い出」を取りもどす支援。かたわらにメッセージが貼られていました。県外から来たボランティアのものです。「一つでも多くの思い出が皆さまの手に残りますように」。



石巻と南三陸9仮設住宅を訪ねました。外にいた高齢の女性に声をかけました。被害にあった自宅に戻って取ってきたというスズランの鉢植えをみせていただきました。「津波を受けて茶色に枯れてたのが、ここ数日の雨で緑を取りもどしてきたよ」。
石巻と南三陸10
ここから30分ほどのところで農業を営んでいたそうです。「こんな助けてもらうばかりのババが生きのびて、津波で大切な孫や息子をもっていかれてしまったよ」と涙声で話します。わたしは・・・言葉がすぐに出てきません。

「生きてくれてうれしいです。逝かれた方も、きっとそう思っているでしょう。スズランみたいに、畑もじきに緑が復活しそうですね」。やっとそう返しました。「うん、うん」。言い聞かせるように、慰めるようにうなずいていただきました。



石巻と南三陸11ご夫妻で仮設に移られた方もいました。「お茶でも飲んで行きなさいな、遠くから来たんでしょう」声をかけていただきました。今日は別のアパートに避難したお孫さんとお嫁さんが訪ねていらしたのだとか。

みんな集まったところでお孫さんが壁から額を取って見せてくれます。「今まで住んでいた家の写真。ほら、大きい家だよ。海が隣に見える」。海に隣接していたこのお宅では、地震の直後に波の異常を感じて家族全員が高台に逃げたのだとか。

2人のおさない兄弟が話してくれました。「おじいちゃんの畑からいろんなものがいっぱいながれちゃったんだ〜。道具もない、苗もない。がれきばかりだって。でもまた畑に行く〜」。畑にぜひ行ってね。君たちが行けば、きっと畑もまた緑になるから。仮設の中で子どもたちの元気はとても貴重です。



石巻と南三陸12別の避難所は児童室があり、近所の仮設に移った子どもたちも遊びに来ていました。ここでは様子を見守るボランティアの中にも被災して家族をなくした人もいるのです。

「彼女の時間はあの時から止まってしまったようです。ここでボランティアをして人と話をし、子どもたちの声を聞いている時だけ、生きているという気がするのだそうです」。

慰める言葉も出てきません。でも子どもたちも児童室でみなさんと遊ぶのを楽しみにしているようです。



石巻と南三陸13仮設の共有スペースで移動カフェを開いているグループもありました。入居者がポツリポツリと集まってきます。子どもが大人と一緒にはないちもんめをして、はしゃいでいます。

市内のいろいろな地域から入居者が集まる仮設。多くを失い、背景もさまざまで知らない人同士が住むのです。すぐにではなくてもいい、くつろいで言葉を交わせる場を作ってもらいたいのだとカフェの担当者は語ります。一年のつもりでプロジェクトを続けるのだそうです。新しくコミュニティーを作ろうと地域の人や外から来た人が声をかけあって取り組み始めているようでした。



IMG_9143震災はこの土地から多くのものを奪いました。人々が暮らしたまちは残酷で荒涼とした風景に変わり果てました。生死は紙一重。それでも生きのびて暮らす人がここにはいます。

3.11をこの地で過ごした人には物語があり、言葉がありました。わたしたちが復興のお手伝いができたのなら、とてもうれしい。でも、ここに来てやったことと言えば、声をかけていただいたこと。お茶をいただいたこと。そして歩み出したみなさんを見て、希望をわけていただいたこと。
…あれれ、立場が逆じゃない?!

東北はそういう「折り目正しく人を気づかう、なつかしい」土地で、まさに前を向いて歩きだしたのだと、いまさらのように気がつきました。そこで汗を流せたこと、みなさんの物語を聞かせていただいたことは、わたしたちの宝です。被災地のボランティアセンターで渡されるワッペンが、じつは誇りなのです。

tag-sあれから4カ月。たくさんの想いを抱えながら、被災した土地に根付いて生きている人たちの「日常」を取り戻す努力は、今も続いています。わたしたちは現地でお手伝いをしながら、遠い鎌倉で支援する方たちにも様
子をお伝したいと思っています。
またうかがいます。

追伸:鎌倉や神奈川、東京などでさまざまなボランティアバスが出ています。
http://www.jpn-civil.net/volunteer_bus/

投稿者:CanCan

2011年07月20日 │ 防犯・防災  │ コメント(0)│ トラックバック(0)  twitterでつぶやく
被災された皆さんに、何かできることをと思っていましたが、お話があって有志の3人とともに4/23,24被災地の石巻に行ってボランティア活動をしてきました。

石巻1現地では海側の被災した地域のダメージの大きさに圧倒されました。無傷の建物は一つもありません。1、2階は壊滅状態。巨大なタンクが流され、何十台もの車が流れて重なったり建物に刺さったり。船が陸の上にあり、鉄道の線路はぐしゃぐしゃに折れ曲がり、ガレキの山が万里の長城のごとく続いていました。

石巻2同時に復興の早さにも驚きました。津波が2メートルの高さで襲った住宅地域の道一つ隔てたお隣(たぶんそこも津波には床上浸水程度やられたのだと思います)にはライフラインが復旧し、コンビニもファミレスも今まで通り開いていました。

石巻3

避難所にうかがうと高齢者と子どもがいました。鎌倉から用意してきた手さげ袋を手渡すと、中身をあけて大喜びする子がいる一方、不満を言う女の子もいました。でも幾度も幾度もわたしのところに寄ってきます。「かまってほしかったのだ」と気がつきました。

19歳の少女がいました。3日前、お誕生日を迎えたのだそうです。お誕生祝いに、と鳩サブレと袋を手渡すと、顔をほころばせました。彼女もまた、多くを失っていたのだと思います。袋に入っていた口紅を見つけると、息をのんで握りしめました。就職口が見つかり、5/1から勤務なのだそうです。「きっとつかいます。うれしいなあ」とつぶやきました。
花の種には「わたしここに植えたいです。お花、見たいな」と。

石巻5家のある住宅地を津波が襲い、歩道橋に逃げて助かった女性のお引っ越しを手伝いました。家は2メートルの冠水で壁が壊れていました。危険地域にも指定され、自衛隊の重機が地域の全半壊の家を壊していました。「お向かいのお宅では1人亡くなったんです。あちらは2人。こちらでは5人が発見されました。わたしの家は津波に襲われました。あらゆるものがあったけど全部泥で使えない。なんだったのかしらね。
でも、生きていられて良かった。みなさんが来てくれて良かった。」

石巻6わたしたちは石巻では自然の猛威とともに、市民の皆さんの人に配慮する優しさや、モラルの高さ、まちへの思いを感じました。それは希望です。温かかったです。

短時間で手作りの袋や、その中身(タオル、ティッシュ、文具、花の種など)をご用意くださった鎌倉の皆様に心よりお礼を申し上げます。被災地のみなさまに手渡しすることができました。一日は嵐の中でしたが、おかげさまで良い汗をかかせていただきました。復興の猫の手ぐらいのお役には立てたと思います。以下は、袋を受け取った方からのお礼の書き込みです。コソガイの掲示板にお寄せいただきました。わたしが帰るより早くに、こんなお礼をいただくとは思いもよりませんでした。
東北の方は、なんと温かい!

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被災地より  
私は 宮城県石巻市に住んでいます。今回の震災で 甚大な被害を受けた沿岸に住んでおりました。
今日 避難所に そちらのボランティアの方がお見えになり、『何かの役に立てて欲しい』と
手作りの 手提げバックを子供達に手渡してくれました。
その中には 作って下さった方々の手紙が入っており、とても 感動いたしました。
メールでしか お返事が出来なくて、申し訳ないのですが、ひろみさん ちかさん さちえさん 確かに バック、メッセージに込められた思いを受け取りました。
ホントに ありがとうございます。
心から 感謝しております。

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鎌倉より  
ご連絡、ありがとうございます! 
先週末、石巻でボランティア活動をさせていただきました鎌倉子育てガイドのCanCanです。うれしいなあ。お返事をいただけるとは思いもよりませんでした。

震災の凄さを知り、皆さまのために何かお役に立ちたいと思っていました。
お話があって、先週末わたしが鎌倉から石巻へ、復興支援のボランティアに参加することになりました。

石巻7同じように感じていた鎌倉にいる多くの方が、被災された皆さんのお役に立ちたいと、手さげ袋や中身のタオル、ティッシュ、花の種、文具などを用意してくれました。支援活動の合間に、お届けさせていただきました。

石巻では自然の猛威とともに、皆さんが失ったものの大きさ、避難生活の不自由さに胸が痛みました。ナミダが出ました。同時に人に配慮する優しさや、モラルの高さ、まちへの思いを感じました。温かかったです。

石巻8被害がひどかった地域でも、ガレキの間から、ビルの破れたシャッターの向こうから、被災したお家の1Fから、住人の皆さんとともに多くのボランティアも見かけました。専修大学のグラウンドには災害支援ボランティアセンターがあり、わたしのいる間は、日本中から集まったボランティアたちの100以上のテントが立っていました。

このまちは被災したけど、きっと大丈夫。地元の人、外から支える人が力を合わせて復興するにちがいない、と確信いたしました。
わたしが石巻で見せていただいたのは、自然の猛威とみなさんの作る希望でした。
生きていてくださったことに、心より感謝いたします。

石巻9石巻では良い汗をかかせていただきました。皆さまが前に進む際のお手伝いになったのなら幸いです。
ご連絡いただいたこと、本当にうれしかったです。
お体大切にしてください。
またうかがいます。

投稿者:CanCan

2011年04月28日 │ 防犯・防災  │ コメント(1)│ トラックバック(0)  twitterでつぶやく
〜被災地で医療活動をされた酒井先生、泰川先生

Dr支援1TVでは毎日のように被災地の様子が流されています。恐ろしい津波や変わり果てたまちの風景、避難所で暮らす人々、津波をかぶった自宅に帰って整理をする人。被災者の様子を見て、何か支えたいのに!と、わたしたちが歯がゆい思いをかみしめている間に、鎌倉から2人のドクターがいち早く被災地に行かれて医療支援活動をされていたことを知りました。「ドクターGON診療所」の泰川先生、「さかい内科・胃腸科クリニック」の酒井先生です。

先日、泰川先生に偶然市役所でお会いしました。「気仙沼で2人の看護師と一緒に1週間医療活動をして、昨日わたしだけ帰って来ました。2日後には交代の看護師とヘリで気仙沼に戻るのです。市役所に来たのはヘリポートの手配のためなんです」とのこと。驚きました。開業してらっしゃるドクターが、鎌倉から被災地に行って医療活動をされていたとは!

Dr支援3先生の行かれた気仙沼は地震と津波の被害が大きかった市の一つです。拠点の避難所は家族や家を失った人たち300人が暮らす大所帯。高齢者を中心に体調不良者は多く、衛生事情も悪かったと聞きます。先生の行かれた間は食品はかろうじてあっても調理ができない状態で、温かいものは口にできなかったとうかがいました。しかし徐々に支援物資が届きだし、命をつなぐために必要な水、食品や紙製品類は行きわたるようになっていったのだそうです。
「ただ、こどもたちもいつまた余震が起こるかわからない中、落ち着かないのか室内でべたっとすわって携帯ゲームをするばかり。外遊びの姿は見られませんでした。高齢者の気持ちの落ち込みも大きく、気にかかります」と教えてくださいました。

Dr支援4コソガイとしても「何かできることを…」と思っていた矢先でもあり、急遽先生に支援物資をお持ちいただくことになりました。とはいえ、ヘリは小さいので多くを送ることはできません。そこで「こども」向けに、落ち着かない中でも使える漫画、カードやボードゲーム、お絵かき道具などと高齢者とこどもをつなげる将棋、折り紙などの遊び道具を集めました。もちろんメッセージも書き、先生に託しました。鎌倉から被災地に、そしてまた鎌倉に戻られた先生からは「避難所の状態も少し良くなってきて、外で遊ぶこどもの姿もちらほら見かけました」とご報告いただきました。先生、お疲れさまでした。本当にありがとうございました。

Dr支援2もうお一人の酒井先生は南三陸町に行かれ、訪問診療をされたようです。先生のご活動は銀の鈴ギャラリーの東日本大震災 被災者支援展で報告され、この展示でわたしたちも先生の支援を知りました。現地では被災しながらも寝たきりで自宅で暮らす高齢者も少なくないのだそうで、先生は様変わりした土地でお宅を探し出し、診療されたのだそうです。大半の家は津波による損壊があり、さらに家中の物が津波でさらわれたり、濡れて使えないまま散らばっているのだそうです。「まだ電気もガスも水道も復旧してなかったんです。被災者は物資を入れる袋もなく、ボロボロになったスーパーの袋を何度も使いまわしていました」と酒井先生はおっしゃったそうです。

そんな先生の言葉を受けて、銀の鈴社さんでは今、被災地向けの手作り袋を集めてらっしゃいます。「元気のでる詩」のカードと一緒に現地のグループを通して被災者に届けるのだそうです。

食糧や水などが届き、先生たちのような医療関係者の活躍で「命をながらえる支援」は行き届きつつあるようです。ありがたいことです。それでもまちの片づけなどの「手」は足りないと聞きます。そろそろ外からの「復興のための支援、心をつなぐ支援」が必要な段階に入るのかもしれません。しかし支援者を受け入れる自治体は多くはありません。安全な受け入れ先の確保が難しいと言う事情も耳にしています。わたしたちは鎌倉で被災地に気持ちを送りながら募金などのささやかな活動を続け、どんな継続的、直接的支援ができるかを模索する、もどかしい時間をもうしばらく過ごすことになりそうです。

泰川先生の支援活動 ≫こちら
泰川先生の鎌倉での診療 ≫鎌倉介護ガイドレポートへ

酒井先生の支援活動 ≫こちら
酒井先生の鎌倉での診療 ≫鎌倉 病院情報へ

銀の鈴ギャラリー「ヤギと片瀬ゴマがつなぐ心の和」展 ≫こちら

投稿者:CanCan
泰川先生の写真はドクターゴン鎌倉診療所より
酒井先生の写真は銀の鈴ギャラリーでの展示より

2011年04月22日 │ 医療・保健 | 防犯・防災 │ コメント(0)│ トラックバック(0)  twitterでつぶやく
このたびの東北・太平洋大震災で被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。

hands600鎌倉では比較的被害は少なかったようですが、計画停電も始まり、パニック買いなどによる保存食やガソリンの不足で日常生活に多少の不便は生じています。

わたしたちは被災地の皆さまのことを思い、平静な生活をおくれるよう鎌倉での情報発信をしながら、ささやかですが節電や譲り合い・助け合いをしていきたいと思います。

被災された方に何かできることがあるのではないかと、ずっと考えております。今はまだ「正解」が見つかりません。時間がたてば、募金や物資の提供などでできることがあるのかもしれません。
その時には、ささやかかもしれませんが、できるだけのことをしたいと思っています。
今私にできそうなことは、鎌倉で家族の命や生活を考え、被災地の負担を減らす暮らしをすることです。

今回の震災でわたしたちは「災害はいつどこに起こるかわからないのだ」という、当たり前だったのに、忘れていた事実に直面しました。以前と同じ便利な生活が、どれだけ多くの努力で守られていたのか気が付きました。ラジオからの素早い情報提供や防災無線の指示も有効に機能し、市民が通常に近い形で生活できるよう、今も多くのサービスが懸命の努力で続けられています。こうした努力に報いるためにも、あまり極端に走ることなく、でも有効に過ごしたいと思っています。ご参考になるかどうか分かりませんが、我が家で対応したことを記しておきます。

家中の乾電池や懐中電灯、ラジオを集め、一人一人携帯できるようにしました。
家にいる時は靴やコートを身近に置き、脱出経路を確保しました。(脱出場所の物をかたづけました)
断水してもすぐには困らないよう、2日分ぐらいの水をあいたペットボトルに詰め、準備しました。
家族が離れ離れになる場合を考えて、集合する避難場所を確認しました。
地域の皆さんに、ご無事を確認するべく、声かけをしました。
なにより、節電を心がけます!

驚いたことがあります。我が家の子どもたちは、原子力の事故の恐ろしさが分からないのです。地震には反応しても、原子力発電所の危機はピンとこないようです。電気を使わない長い夜を利用して、原子力の利便性とともにその恐ろしさも話しました。自衛隊や東電の皆さんの決死の努力も話しました。伝わるかどうかは分かりませんが、せめて電気を大切にするきっかけになればよいな…と思います。

これから学校の早帰りや待機、停電が続くでしょう。安全で便利な日常に感謝し、災害に備えて声掛けなどをして、親子や地域の皆さんとの時間を大切に過ごせると良いな、と思います。

鎌倉 病院情報では、サポーター・クリニックでの停電対応などもお知らせしています。

投稿者:CanCan

子どもたちが下校するころになると、街角でなんとなく見かけるジャケットやたすきをつけた人たち。子どもたちの下校を見守っている防犯パトロールのメンバーなのです。現在市内では自治会、町内会の有志が主体となり七里ガ浜、腰越などで約80のパトロールが活躍中。親として地域住民としてありがたいです。

防犯パト1活動の草分け的存在は「オレンジパトロール」。腰越在住の会社員・大津さんが組織しました。もともとは暴走族を放っておけなかったのがきっかけ。12年前から暴走族のメンバーに直接話しかけ、一方で県に「暴走族追放条例」を制定するよう働きかけ、沈静化させることに成功しました。さらに4年前からは空き巣や子どもたちへの犯罪に対して、目立つオレンジ色のジャケットを着て、拍子木を打ち存在を誇示しながら仲間と共にパトロール活動を展開。各町内会の防犯パトロールの指導も引き受け、防犯のためのオレンジ通信や、犯罪発生情報を流す防犯メールも出しています。大津さんの協力で防犯活動をする自治会は約40(市内の活動の実に半分)。そのいずれでも、実際に空き巣や子どもへの犯罪は激減しました。
 
防犯パト2近所で見かけた防犯パトロールは、町内にお住まいの有志約20人が今年の4月から始めたもの。1組3人以上で月から金曜までローテーションを組んで子どもたちの下校を見守ります。黄色い防犯ジャケットは町内会を通して市から貸与されました。メンバーの方は「自分たちが町角に立つことで子どもたちが安全に帰れるなら、それはうれしいこと。何より子どもたちと顔見知りになるのが楽しい」とおっしゃいます。「おかえり」の声かけに、子どもたちも答えます。こんな「地域力」がある地区では犯罪発生率が低いと言うのもうなずけます。今後は学校が地域と連絡を取って、緊急時対策などいっそうの活動を進めていくことが求められます。

防犯パト3冬に入り、日没が早くなり寒さも厳しいこのごろ。そんななか、ジャケットを着て、拍子木を叩いて、声かけをして今日も鎌倉市内のパトロールの皆さんは子どもたちを見守り、防犯活動を続けています。

防犯団体 犯罪から鎌倉を守る会(オレンジパトロール)
代表:大津定博(腰越在住・銀行勤務)

鎌倉を中心とした最新犯罪情報を無料でメール配信しています。市内の情報登録会員約1000名のご協力をいただいております。配信ご希望の方はお気軽に下記アドレスまでメール(携帯可)をお送り下さい。不審者や空き巣など発生次第送信します。個人情報は守秘します。
no-crime@s5.dion.ne.jp

※「オレンジ通信22号」PDFをダウンロードできます >>こちら


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