スタッフより
〜石巻と南三陸の11の物語
6月24,25日、有志数名とともに再び石巻に行ってきました。夜通し車で北上し、地方都市である石巻の普通のまち中をしばらく走ると、突然日常が断ち切られて「あの光景、津波に破壊されたまち」が目の前に広がります。
それでも道が整備され、不自由なく車で通行できます。全壊した港に近い地区では、ぼこぼこに壊れた車が広場に積み上げられ、鉄筋や木材などガレキは集積場所に集められています。万里の長城のようなガレキ、大量に発生してまとわりつくハエ。その先に土台だけが建物の痕跡を語る、荒涼とした広い空間も出現しました。ガレキの撤去や片付けが進んだのです。市民と自衛隊、ボランティア、業者の懸命の作業がまちを片付け、風景を変え続けています。
被災地で出会った物語を書いておきます。人が前を向いて生きて行く姿は、たいへんそうだけど、心を打たれる強さがあります。
津波の被害でお引っ越しするお宅の倉庫の片づけを手伝いました。このお宅の奥さまも津波の際に歩道橋に登って辛くも津波から逃れたのだそうです。
あの日「鎌歩道橋」には、7〜80人が逃げ上がり、津波の水が引かなかった2日間、歩道橋の上や屋根伝いに移動した事務所で人々は寒さに震えながら声を掛け合って過ごしたのだと聞きました。「生と死を分けたのは紙一重の偶然。おかげで生き残りました」。
この地域では自宅の2階に逃げて助かった人も多いのだとか。そうして一階のみ被災したお宅の多くは、少しリフォームして2階に住み続けるのだそうです。「ウチは土台が傾いてしまったので、引っ越します。それでも一家みんなが無事でした。だからいつかこの場所で家を再建します」とお手伝い先のご主人はおっしゃいます。
お母さまは長年使った母屋の家財道具を名残惜しそうに眺めていました。「引っ越し先は狭いから全部は持っていけないの」。鎌倉から持参した手作りバックを渡すと、顔をほころばせて、まだ使えそうな料理道具を大切そうにその中に入れました。「これは持って行けそう。ありがとうね」。
南三陸町を訪ねました。石巻から車で50分ぐらいの距離です。高台にある避難所の庭で復興市が開かれていました。月末の日曜日に開設される市では、水産業者のワカメ、サケ等の加工品や手作りの地元の菓子などを売る屋台、日本全国から支援のために出店した模擬店が軒を連ねて人が集まり、活況を呈しています。
「このタコやサケは、冷蔵庫にあったまま被災しました。震災の後、探し出して守ってきたものです。どうぞ食べてください」。…はい。サケ4切れと水ダコ買わせていただきました!
しかし復興市を離れると南三陸の中心部は人気も音もない廃墟のまち。ガレキは手付かずのまま、ねじれた鉄筋や木材の間から子どものおもちゃや、卒業アルバムなど生活がしのばれる品が見え隠れしています。最後まで避難を呼びかけ続けた放送で高名になった市の防災庁舎(鉄筋だけ残っている)の前に簡易祭壇ができていました。
今回のボランティア有志は19歳、22歳の学生さんたちも含んでいます。祈りをささげた後でガレキを見ながら若い彼らがつぶやきました。「何かできることがあるんじゃないか、力になりたいと思ってここに来ました」。
そしてその隣はガレキに囲まれた中で営業を続けるガソリンスタンド。「電気が復旧していないので、お客さんが来ると発電機を動かして給油します。震災後1週間で修理して、以来ずっとこうして営業を続けています。復興を支えたいですから」。

ボランティアセンターでは流れた写真を洗浄して復活させる作業が進んでいます。それは「思い出」を取りもどす支援。かたわらにメッセージが貼られていました。県外から来たボランティアのものです。「一つでも多くの思い出が皆さまの手に残りますように」。
仮設住宅を訪ねました。外にいた高齢の女性に声をかけました。被害にあった自宅に戻って取ってきたというスズランの鉢植えをみせていただきました。「津波を受けて茶色に枯れてたのが、ここ数日の雨で緑を取りもどしてきたよ」。

ここから30分ほどのところで農業を営んでいたそうです。「こんな助けてもらうばかりのババが生きのびて、津波で大切な孫や息子をもっていかれてしまったよ」と涙声で話します。わたしは・・・言葉がすぐに出てきません。
「生きてくれてうれしいです。逝かれた方も、きっとそう思っているでしょう。スズランみたいに、畑もじきに緑が復活しそうですね」。やっとそう返しました。「うん、うん」。言い聞かせるように、慰めるようにうなずいていただきました。
ご夫妻で仮設に移られた方もいました。「お茶でも飲んで行きなさいな、遠くから来たんでしょう」声をかけていただきました。今日は別のアパートに避難したお孫さんとお嫁さんが訪ねていらしたのだとか。
みんな集まったところでお孫さんが壁から額を取って見せてくれます。「今まで住んでいた家の写真。ほら、大きい家だよ。海が隣に見える」。海に隣接していたこのお宅では、地震の直後に波の異常を感じて家族全員が高台に逃げたのだとか。
2人のおさない兄弟が話してくれました。「おじいちゃんの畑からいろんなものがいっぱいながれちゃったんだ〜。道具もない、苗もない。がれきばかりだって。でもまた畑に行く〜」。畑にぜひ行ってね。君たちが行けば、きっと畑もまた緑になるから。仮設の中で子どもたちの元気はとても貴重です。
別の避難所は児童室があり、近所の仮設に移った子どもたちも遊びに来ていました。ここでは様子を見守るボランティアの中にも被災して家族をなくした人もいるのです。
「彼女の時間はあの時から止まってしまったようです。ここでボランティアをして人と話をし、子どもたちの声を聞いている時だけ、生きているという気がするのだそうです」。
慰める言葉も出てきません。でも子どもたちも児童室でみなさんと遊ぶのを楽しみにしているようです。
仮設の共有スペースで移動カフェを開いているグループもありました。入居者がポツリポツリと集まってきます。子どもが大人と一緒にはないちもんめをして、はしゃいでいます。
市内のいろいろな地域から入居者が集まる仮設。多くを失い、背景もさまざまで知らない人同士が住むのです。すぐにではなくてもいい、くつろいで言葉を交わせる場を作ってもらいたいのだとカフェの担当者は語ります。一年のつもりでプロジェクトを続けるのだそうです。新しくコミュニティーを作ろうと地域の人や外から来た人が声をかけあって取り組み始めているようでした。
震災はこの土地から多くのものを奪いました。人々が暮らしたまちは残酷で荒涼とした風景に変わり果てました。生死は紙一重。それでも生きのびて暮らす人がここにはいます。
3.11をこの地で過ごした人には物語があり、言葉がありました。わたしたちが復興のお手伝いができたのなら、とてもうれしい。でも、ここに来てやったことと言えば、声をかけていただいたこと。お茶をいただいたこと。そして歩み出したみなさんを見て、希望をわけていただいたこと。
…あれれ、立場が逆じゃない?!
東北はそういう「折り目正しく人を気づかう、なつかしい」土地で、まさに前を向いて歩きだしたのだと、いまさらのように気がつきました。そこで汗を流せたこと、みなさんの物語を聞かせていただいたことは、わたしたちの宝です。被災地のボランティアセンターで渡されるワッペンが、じつは誇りなのです。
あれから4カ月。たくさんの想いを抱えながら、被災した土地に根付いて生きている人たちの「日常」を取り戻す努力は、今も続いています。わたしたちは現地でお手伝いをしながら、遠い鎌倉で支援する方たちにも様子をお伝したいと思っています。
またうかがいます。
追伸:鎌倉や神奈川、東京などでさまざまなボランティアバスが出ています。
http://www.jpn-civil.net/volunteer_bus/
投稿者:CanCan
6月24,25日、有志数名とともに再び石巻に行ってきました。夜通し車で北上し、地方都市である石巻の普通のまち中をしばらく走ると、突然日常が断ち切られて「あの光景、津波に破壊されたまち」が目の前に広がります。それでも道が整備され、不自由なく車で通行できます。全壊した港に近い地区では、ぼこぼこに壊れた車が広場に積み上げられ、鉄筋や木材などガレキは集積場所に集められています。万里の長城のようなガレキ、大量に発生してまとわりつくハエ。その先に土台だけが建物の痕跡を語る、荒涼とした広い空間も出現しました。ガレキの撤去や片付けが進んだのです。市民と自衛隊、ボランティア、業者の懸命の作業がまちを片付け、風景を変え続けています。
被災地で出会った物語を書いておきます。人が前を向いて生きて行く姿は、たいへんそうだけど、心を打たれる強さがあります。
津波の被害でお引っ越しするお宅の倉庫の片づけを手伝いました。このお宅の奥さまも津波の際に歩道橋に登って辛くも津波から逃れたのだそうです。あの日「鎌歩道橋」には、7〜80人が逃げ上がり、津波の水が引かなかった2日間、歩道橋の上や屋根伝いに移動した事務所で人々は寒さに震えながら声を掛け合って過ごしたのだと聞きました。「生と死を分けたのは紙一重の偶然。おかげで生き残りました」。
この地域では自宅の2階に逃げて助かった人も多いのだとか。そうして一階のみ被災したお宅の多くは、少しリフォームして2階に住み続けるのだそうです。「ウチは土台が傾いてしまったので、引っ越します。それでも一家みんなが無事でした。だからいつかこの場所で家を再建します」とお手伝い先のご主人はおっしゃいます。お母さまは長年使った母屋の家財道具を名残惜しそうに眺めていました。「引っ越し先は狭いから全部は持っていけないの」。鎌倉から持参した手作りバックを渡すと、顔をほころばせて、まだ使えそうな料理道具を大切そうにその中に入れました。「これは持って行けそう。ありがとうね」。
南三陸町を訪ねました。石巻から車で50分ぐらいの距離です。高台にある避難所の庭で復興市が開かれていました。月末の日曜日に開設される市では、水産業者のワカメ、サケ等の加工品や手作りの地元の菓子などを売る屋台、日本全国から支援のために出店した模擬店が軒を連ねて人が集まり、活況を呈しています。「このタコやサケは、冷蔵庫にあったまま被災しました。震災の後、探し出して守ってきたものです。どうぞ食べてください」。…はい。サケ4切れと水ダコ買わせていただきました!
しかし復興市を離れると南三陸の中心部は人気も音もない廃墟のまち。ガレキは手付かずのまま、ねじれた鉄筋や木材の間から子どものおもちゃや、卒業アルバムなど生活がしのばれる品が見え隠れしています。最後まで避難を呼びかけ続けた放送で高名になった市の防災庁舎(鉄筋だけ残っている)の前に簡易祭壇ができていました。今回のボランティア有志は19歳、22歳の学生さんたちも含んでいます。祈りをささげた後でガレキを見ながら若い彼らがつぶやきました。「何かできることがあるんじゃないか、力になりたいと思ってここに来ました」。
そしてその隣はガレキに囲まれた中で営業を続けるガソリンスタンド。「電気が復旧していないので、お客さんが来ると発電機を動かして給油します。震災後1週間で修理して、以来ずっとこうして営業を続けています。復興を支えたいですから」。
ボランティアセンターでは流れた写真を洗浄して復活させる作業が進んでいます。それは「思い出」を取りもどす支援。かたわらにメッセージが貼られていました。県外から来たボランティアのものです。「一つでも多くの思い出が皆さまの手に残りますように」。
仮設住宅を訪ねました。外にいた高齢の女性に声をかけました。被害にあった自宅に戻って取ってきたというスズランの鉢植えをみせていただきました。「津波を受けて茶色に枯れてたのが、ここ数日の雨で緑を取りもどしてきたよ」。
ここから30分ほどのところで農業を営んでいたそうです。「こんな助けてもらうばかりのババが生きのびて、津波で大切な孫や息子をもっていかれてしまったよ」と涙声で話します。わたしは・・・言葉がすぐに出てきません。
「生きてくれてうれしいです。逝かれた方も、きっとそう思っているでしょう。スズランみたいに、畑もじきに緑が復活しそうですね」。やっとそう返しました。「うん、うん」。言い聞かせるように、慰めるようにうなずいていただきました。
ご夫妻で仮設に移られた方もいました。「お茶でも飲んで行きなさいな、遠くから来たんでしょう」声をかけていただきました。今日は別のアパートに避難したお孫さんとお嫁さんが訪ねていらしたのだとか。みんな集まったところでお孫さんが壁から額を取って見せてくれます。「今まで住んでいた家の写真。ほら、大きい家だよ。海が隣に見える」。海に隣接していたこのお宅では、地震の直後に波の異常を感じて家族全員が高台に逃げたのだとか。
2人のおさない兄弟が話してくれました。「おじいちゃんの畑からいろんなものがいっぱいながれちゃったんだ〜。道具もない、苗もない。がれきばかりだって。でもまた畑に行く〜」。畑にぜひ行ってね。君たちが行けば、きっと畑もまた緑になるから。仮設の中で子どもたちの元気はとても貴重です。
別の避難所は児童室があり、近所の仮設に移った子どもたちも遊びに来ていました。ここでは様子を見守るボランティアの中にも被災して家族をなくした人もいるのです。「彼女の時間はあの時から止まってしまったようです。ここでボランティアをして人と話をし、子どもたちの声を聞いている時だけ、生きているという気がするのだそうです」。
慰める言葉も出てきません。でも子どもたちも児童室でみなさんと遊ぶのを楽しみにしているようです。
仮設の共有スペースで移動カフェを開いているグループもありました。入居者がポツリポツリと集まってきます。子どもが大人と一緒にはないちもんめをして、はしゃいでいます。市内のいろいろな地域から入居者が集まる仮設。多くを失い、背景もさまざまで知らない人同士が住むのです。すぐにではなくてもいい、くつろいで言葉を交わせる場を作ってもらいたいのだとカフェの担当者は語ります。一年のつもりでプロジェクトを続けるのだそうです。新しくコミュニティーを作ろうと地域の人や外から来た人が声をかけあって取り組み始めているようでした。
震災はこの土地から多くのものを奪いました。人々が暮らしたまちは残酷で荒涼とした風景に変わり果てました。生死は紙一重。それでも生きのびて暮らす人がここにはいます。3.11をこの地で過ごした人には物語があり、言葉がありました。わたしたちが復興のお手伝いができたのなら、とてもうれしい。でも、ここに来てやったことと言えば、声をかけていただいたこと。お茶をいただいたこと。そして歩み出したみなさんを見て、希望をわけていただいたこと。
…あれれ、立場が逆じゃない?!
東北はそういう「折り目正しく人を気づかう、なつかしい」土地で、まさに前を向いて歩きだしたのだと、いまさらのように気がつきました。そこで汗を流せたこと、みなさんの物語を聞かせていただいたことは、わたしたちの宝です。被災地のボランティアセンターで渡されるワッペンが、じつは誇りなのです。
あれから4カ月。たくさんの想いを抱えながら、被災した土地に根付いて生きている人たちの「日常」を取り戻す努力は、今も続いています。わたしたちは現地でお手伝いをしながら、遠い鎌倉で支援する方たちにも様子をお伝したいと思っています。またうかがいます。
追伸:鎌倉や神奈川、東京などでさまざまなボランティアバスが出ています。
http://www.jpn-civil.net/volunteer_bus/
投稿者:CanCan
被災された皆さんに、何かできることをと思っていましたが、お話があって有志の3人とともに4/23,24被災地の石巻に行ってボランティア活動をしてきました。
現地では海側の被災した地域のダメージの大きさに圧倒されました。無傷の建物は一つもありません。1、2階は壊滅状態。巨大なタンクが流され、何十台もの車が流れて重なったり建物に刺さったり。船が陸の上にあり、鉄道の線路はぐしゃぐしゃに折れ曲がり、ガレキの山が万里の長城のごとく続いていました。
同時に復興の早さにも驚きました。津波が2メートルの高さで襲った住宅地域の道一つ隔てたお隣(たぶんそこも津波には床上浸水程度やられたのだと思います)にはライフラインが復旧し、コンビニもファミレスも今まで通り開いていました。

避難所にうかがうと高齢者と子どもがいました。鎌倉から用意してきた手さげ袋を手渡すと、中身をあけて大喜びする子がいる一方、不満を言う女の子もいました。でも幾度も幾度もわたしのところに寄ってきます。「かまってほしかったのだ」と気がつきました。
19歳の少女がいました。3日前、お誕生日を迎えたのだそうです。お誕生祝いに、と鳩サブレと袋を手渡すと、顔をほころばせました。彼女もまた、多くを失っていたのだと思います。袋に入っていた口紅を見つけると、息をのんで握りしめました。就職口が見つかり、5/1から勤務なのだそうです。「きっとつかいます。うれしいなあ」とつぶやきました。
花の種には「わたしここに植えたいです。お花、見たいな」と。
家のある住宅地を津波が襲い、歩道橋に逃げて助かった女性のお引っ越しを手伝いました。家は2メートルの冠水で壁が壊れていました。危険地域にも指定され、自衛隊の重機が地域の全半壊の家を壊していました。「お向かいのお宅では1人亡くなったんです。あちらは2人。こちらでは5人が発見されました。わたしの家は津波に襲われました。あらゆるものがあったけど全部泥で使えない。なんだったのかしらね。
でも、生きていられて良かった。みなさんが来てくれて良かった。」
わたしたちは石巻では自然の猛威とともに、市民の皆さんの人に配慮する優しさや、モラルの高さ、まちへの思いを感じました。それは希望です。温かかったです。
短時間で手作りの袋や、その中身(タオル、ティッシュ、文具、花の種など)をご用意くださった鎌倉の皆様に心よりお礼を申し上げます。被災地のみなさまに手渡しすることができました。一日は嵐の中でしたが、おかげさまで良い汗をかかせていただきました。復興の猫の手ぐらいのお役には立てたと思います。以下は、袋を受け取った方からのお礼の書き込みです。コソガイの掲示板にお寄せいただきました。わたしが帰るより早くに、こんなお礼をいただくとは思いもよりませんでした。
東北の方は、なんと温かい!
--------------------------------------------------------------------------------
被災地より
私は 宮城県石巻市に住んでいます。今回の震災で 甚大な被害を受けた沿岸に住んでおりました。
今日 避難所に そちらのボランティアの方がお見えになり、『何かの役に立てて欲しい』と
手作りの 手提げバックを子供達に手渡してくれました。
その中には 作って下さった方々の手紙が入っており、とても 感動いたしました。
メールでしか お返事が出来なくて、申し訳ないのですが、ひろみさん ちかさん さちえさん 確かに バック、メッセージに込められた思いを受け取りました。
ホントに ありがとうございます。
心から 感謝しております。
--------------------------------------------------------------------------------
鎌倉より
ご連絡、ありがとうございます!
先週末、石巻でボランティア活動をさせていただきました鎌倉子育てガイドのCanCanです。うれしいなあ。お返事をいただけるとは思いもよりませんでした。
震災の凄さを知り、皆さまのために何かお役に立ちたいと思っていました。
お話があって、先週末わたしが鎌倉から石巻へ、復興支援のボランティアに参加することになりました。
同じように感じていた鎌倉にいる多くの方が、被災された皆さんのお役に立ちたいと、手さげ袋や中身のタオル、ティッシュ、花の種、文具などを用意してくれました。支援活動の合間に、お届けさせていただきました。
石巻では自然の猛威とともに、皆さんが失ったものの大きさ、避難生活の不自由さに胸が痛みました。ナミダが出ました。同時に人に配慮する優しさや、モラルの高さ、まちへの思いを感じました。温かかったです。
被害がひどかった地域でも、ガレキの間から、ビルの破れたシャッターの向こうから、被災したお家の1Fから、住人の皆さんとともに多くのボランティアも見かけました。専修大学のグラウンドには災害支援ボランティアセンターがあり、わたしのいる間は、日本中から集まったボランティアたちの100以上のテントが立っていました。
このまちは被災したけど、きっと大丈夫。地元の人、外から支える人が力を合わせて復興するにちがいない、と確信いたしました。
わたしが石巻で見せていただいたのは、自然の猛威とみなさんの作る希望でした。
生きていてくださったことに、心より感謝いたします。
石巻では良い汗をかかせていただきました。皆さまが前に進む際のお手伝いになったのなら幸いです。
ご連絡いただいたこと、本当にうれしかったです。
お体大切にしてください。
またうかがいます。
投稿者:CanCan
現地では海側の被災した地域のダメージの大きさに圧倒されました。無傷の建物は一つもありません。1、2階は壊滅状態。巨大なタンクが流され、何十台もの車が流れて重なったり建物に刺さったり。船が陸の上にあり、鉄道の線路はぐしゃぐしゃに折れ曲がり、ガレキの山が万里の長城のごとく続いていました。
同時に復興の早さにも驚きました。津波が2メートルの高さで襲った住宅地域の道一つ隔てたお隣(たぶんそこも津波には床上浸水程度やられたのだと思います)にはライフラインが復旧し、コンビニもファミレスも今まで通り開いていました。
避難所にうかがうと高齢者と子どもがいました。鎌倉から用意してきた手さげ袋を手渡すと、中身をあけて大喜びする子がいる一方、不満を言う女の子もいました。でも幾度も幾度もわたしのところに寄ってきます。「かまってほしかったのだ」と気がつきました。
19歳の少女がいました。3日前、お誕生日を迎えたのだそうです。お誕生祝いに、と鳩サブレと袋を手渡すと、顔をほころばせました。彼女もまた、多くを失っていたのだと思います。袋に入っていた口紅を見つけると、息をのんで握りしめました。就職口が見つかり、5/1から勤務なのだそうです。「きっとつかいます。うれしいなあ」とつぶやきました。
花の種には「わたしここに植えたいです。お花、見たいな」と。
家のある住宅地を津波が襲い、歩道橋に逃げて助かった女性のお引っ越しを手伝いました。家は2メートルの冠水で壁が壊れていました。危険地域にも指定され、自衛隊の重機が地域の全半壊の家を壊していました。「お向かいのお宅では1人亡くなったんです。あちらは2人。こちらでは5人が発見されました。わたしの家は津波に襲われました。あらゆるものがあったけど全部泥で使えない。なんだったのかしらね。でも、生きていられて良かった。みなさんが来てくれて良かった。」
わたしたちは石巻では自然の猛威とともに、市民の皆さんの人に配慮する優しさや、モラルの高さ、まちへの思いを感じました。それは希望です。温かかったです。短時間で手作りの袋や、その中身(タオル、ティッシュ、文具、花の種など)をご用意くださった鎌倉の皆様に心よりお礼を申し上げます。被災地のみなさまに手渡しすることができました。一日は嵐の中でしたが、おかげさまで良い汗をかかせていただきました。復興の猫の手ぐらいのお役には立てたと思います。以下は、袋を受け取った方からのお礼の書き込みです。コソガイの掲示板にお寄せいただきました。わたしが帰るより早くに、こんなお礼をいただくとは思いもよりませんでした。
東北の方は、なんと温かい!
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被災地より
私は 宮城県石巻市に住んでいます。今回の震災で 甚大な被害を受けた沿岸に住んでおりました。
今日 避難所に そちらのボランティアの方がお見えになり、『何かの役に立てて欲しい』と
手作りの 手提げバックを子供達に手渡してくれました。
その中には 作って下さった方々の手紙が入っており、とても 感動いたしました。
メールでしか お返事が出来なくて、申し訳ないのですが、ひろみさん ちかさん さちえさん 確かに バック、メッセージに込められた思いを受け取りました。
ホントに ありがとうございます。
心から 感謝しております。
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鎌倉より
ご連絡、ありがとうございます!
先週末、石巻でボランティア活動をさせていただきました鎌倉子育てガイドのCanCanです。うれしいなあ。お返事をいただけるとは思いもよりませんでした。
震災の凄さを知り、皆さまのために何かお役に立ちたいと思っていました。
お話があって、先週末わたしが鎌倉から石巻へ、復興支援のボランティアに参加することになりました。
同じように感じていた鎌倉にいる多くの方が、被災された皆さんのお役に立ちたいと、手さげ袋や中身のタオル、ティッシュ、花の種、文具などを用意してくれました。支援活動の合間に、お届けさせていただきました。石巻では自然の猛威とともに、皆さんが失ったものの大きさ、避難生活の不自由さに胸が痛みました。ナミダが出ました。同時に人に配慮する優しさや、モラルの高さ、まちへの思いを感じました。温かかったです。
被害がひどかった地域でも、ガレキの間から、ビルの破れたシャッターの向こうから、被災したお家の1Fから、住人の皆さんとともに多くのボランティアも見かけました。専修大学のグラウンドには災害支援ボランティアセンターがあり、わたしのいる間は、日本中から集まったボランティアたちの100以上のテントが立っていました。このまちは被災したけど、きっと大丈夫。地元の人、外から支える人が力を合わせて復興するにちがいない、と確信いたしました。
わたしが石巻で見せていただいたのは、自然の猛威とみなさんの作る希望でした。
生きていてくださったことに、心より感謝いたします。
石巻では良い汗をかかせていただきました。皆さまが前に進む際のお手伝いになったのなら幸いです。ご連絡いただいたこと、本当にうれしかったです。
お体大切にしてください。
またうかがいます。
投稿者:CanCan
このたびの東北・太平洋大震災で被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。
鎌倉では比較的被害は少なかったようですが、計画停電も始まり、パニック買いなどによる保存食やガソリンの不足で日常生活に多少の不便は生じています。
わたしたちは被災地の皆さまのことを思い、平静な生活をおくれるよう鎌倉での情報発信をしながら、ささやかですが節電や譲り合い・助け合いをしていきたいと思います。
被災された方に何かできることがあるのではないかと、ずっと考えております。今はまだ「正解」が見つかりません。時間がたてば、募金や物資の提供などでできることがあるのかもしれません。
その時には、ささやかかもしれませんが、できるだけのことをしたいと思っています。
今私にできそうなことは、鎌倉で家族の命や生活を考え、被災地の負担を減らす暮らしをすることです。
今回の震災でわたしたちは「災害はいつどこに起こるかわからないのだ」という、当たり前だったのに、忘れていた事実に直面しました。以前と同じ便利な生活が、どれだけ多くの努力で守られていたのか気が付きました。ラジオからの素早い情報提供や防災無線の指示も有効に機能し、市民が通常に近い形で生活できるよう、今も多くのサービスが懸命の努力で続けられています。こうした努力に報いるためにも、あまり極端に走ることなく、でも有効に過ごしたいと思っています。ご参考になるかどうか分かりませんが、我が家で対応したことを記しておきます。
●家中の乾電池や懐中電灯、ラジオを集め、一人一人携帯できるようにしました。
●家にいる時は靴やコートを身近に置き、脱出経路を確保しました。(脱出場所の物をかたづけました)
●断水してもすぐには困らないよう、2日分ぐらいの水をあいたペットボトルに詰め、準備しました。
●家族が離れ離れになる場合を考えて、集合する避難場所を確認しました。
●地域の皆さんに、ご無事を確認するべく、声かけをしました。
●なにより、節電を心がけます!
驚いたことがあります。我が家の子どもたちは、原子力の事故の恐ろしさが分からないのです。地震には反応しても、原子力発電所の危機はピンとこないようです。電気を使わない長い夜を利用して、原子力の利便性とともにその恐ろしさも話しました。自衛隊や東電の皆さんの決死の努力も話しました。伝わるかどうかは分かりませんが、せめて電気を大切にするきっかけになればよいな…と思います。
これから学校の早帰りや待機、停電が続くでしょう。安全で便利な日常に感謝し、災害に備えて声掛けなどをして、親子や地域の皆さんとの時間を大切に過ごせると良いな、と思います。
※ 鎌倉 病院情報では、サポーター・クリニックでの停電対応などもお知らせしています。
投稿者:CanCan
鎌倉では比較的被害は少なかったようですが、計画停電も始まり、パニック買いなどによる保存食やガソリンの不足で日常生活に多少の不便は生じています。わたしたちは被災地の皆さまのことを思い、平静な生活をおくれるよう鎌倉での情報発信をしながら、ささやかですが節電や譲り合い・助け合いをしていきたいと思います。
被災された方に何かできることがあるのではないかと、ずっと考えております。今はまだ「正解」が見つかりません。時間がたてば、募金や物資の提供などでできることがあるのかもしれません。
その時には、ささやかかもしれませんが、できるだけのことをしたいと思っています。
今私にできそうなことは、鎌倉で家族の命や生活を考え、被災地の負担を減らす暮らしをすることです。
今回の震災でわたしたちは「災害はいつどこに起こるかわからないのだ」という、当たり前だったのに、忘れていた事実に直面しました。以前と同じ便利な生活が、どれだけ多くの努力で守られていたのか気が付きました。ラジオからの素早い情報提供や防災無線の指示も有効に機能し、市民が通常に近い形で生活できるよう、今も多くのサービスが懸命の努力で続けられています。こうした努力に報いるためにも、あまり極端に走ることなく、でも有効に過ごしたいと思っています。ご参考になるかどうか分かりませんが、我が家で対応したことを記しておきます。
●家中の乾電池や懐中電灯、ラジオを集め、一人一人携帯できるようにしました。
●家にいる時は靴やコートを身近に置き、脱出経路を確保しました。(脱出場所の物をかたづけました)
●断水してもすぐには困らないよう、2日分ぐらいの水をあいたペットボトルに詰め、準備しました。
●家族が離れ離れになる場合を考えて、集合する避難場所を確認しました。
●地域の皆さんに、ご無事を確認するべく、声かけをしました。
●なにより、節電を心がけます!
驚いたことがあります。我が家の子どもたちは、原子力の事故の恐ろしさが分からないのです。地震には反応しても、原子力発電所の危機はピンとこないようです。電気を使わない長い夜を利用して、原子力の利便性とともにその恐ろしさも話しました。自衛隊や東電の皆さんの決死の努力も話しました。伝わるかどうかは分かりませんが、せめて電気を大切にするきっかけになればよいな…と思います。
これから学校の早帰りや待機、停電が続くでしょう。安全で便利な日常に感謝し、災害に備えて声掛けなどをして、親子や地域の皆さんとの時間を大切に過ごせると良いな、と思います。
※ 鎌倉 病院情報では、サポーター・クリニックでの停電対応などもお知らせしています。
投稿者:CanCan
昨年もいろいろお世話になりました。
フラ、子育て支援、音楽教室、ストレッチ教室、喫茶、写真館などさまざまな現場におじゃましました。
コソガイを見てくださったこと、皆さまと出会えたこと、ご一緒できたこと。
ありがとうございました。
おかげさまでとても楽しい時間を過ごせました。
年末に素敵なカレンダーをいただきました。
「KAMAKURA 2011 CALENDER」
初日の出から始まり、浜の漁師さん、お祭りや古民家、昭和の商店の様子など、鎌倉のちょっと昔から伝わるまちの景色や人々の織り成す暮らしを、素敵な絵と文章で紹介しています。作者は伊東雅江さん。一枚の絵を仕上げるために現場に直接出向き、鎌倉のまち、人を取材し、資料を集め活かして丹念に描く画家です。
伊東さんの仕事は絵画のみにとどまりません。鎌倉の歴史や景観を伝える絵本「鎌倉まちのいろは」の作画を担当されたり、まちなかにあるクラシックな洋館を守り伝えるため、そこで音楽会など開催する「鎌倉クラシック洋館の会」の活動などもしています。12月にはその「鎌倉クラシック洋館の会」が「かいひん荘」でコンサートを催し、わたしたちも参加させていただきました。大正時代に作られた建物の中、小澤真智子さんの澄んだヴァイオリンの響きと伊東さんの手作りのプログラムが、伊東さんをはじめとするスタッフの皆さんの優しいお人柄とともに心に沁み入りました。
そんな彼女の活動は、どこかでコソガイとも重なるような気がします。わたしたちも鎌倉での子育てや暮らしを通して人と出会い、レポートしたり、集ったり。温かい時間を皆さまとご一緒しています。そんな風に続けることで、鎌倉の人の思いやまちの記憶を残し、伝えていくことにつながると良いな、と思っています。みなさまにおかれましても健康で幸せな暮らしが続きますことをお祈りいたします。
どうぞ今年もよろしくお願いします。
投稿者:CanCan
こんにちは! コソガイこと鎌倉子育てガイドからコソガイレポートのリニューアルのお知らせです。すっきりさわやかなタイトルに、記事がより鮮やかに映えているでしょう! これを機に、読み直してみてください。
コソガイの編集スタッフ、2010年から大幅に入れ替わりました。新たにちびっこのママたちが加わり、子どもたちが巻き起こす数々の体験から、スタッフ間でも「あ〜それ、わかる、わかる」「ああ、そうだったの〜目からウロコ」「こんなことやっちゃった」等のリアルな情報が飛び交っています。今後は、それらの顛末レポートも掲載していきますね。もちろん、アネママたちも健在、ちびっこのママを支えつつ活躍中です。
子育て情報発信から始まったコソガイですが、今では生活総合情報サイトに育ち、病院や介護など、扱う素材は暮らし全般。だからいろんな世代の女性たちが、生活に沿った情報やその時々でソソられるデキゴトを、これからも記事や交流会で感度良く発信していきますね。
それがコソガイのグループのいずれかのサイトの中でコンテンツになります。そんな風に子育てから文化や福祉・介護まで、このまちの人々が織りなす暮らしを映して残していくグループサイトに育っていきたいな・・・と思います。ということで、現在コソガイのサイト全体を見直しています。ただ、スタッフは全員がボランティアです。「同じ地域に住むみなさんの暮らしが少しでもラクに楽しくなれば」との思いだけで、コソガイを運営しています。作業は毎日少しづつですから子育て同様、気長〜に、ゆっくりとお付きあいくださいな。
普段のやり取りはインターネットを通して・・・が多いわたしたちですが、月に一度は「編集カフェ」と称して、おいしいお茶とお菓子で顔を合わせながら 打ち合わせをしています。読み聞かせや工作など、皆さんにもお楽しみいただけるようなちょっとした交流イベントも用意します。編集カフェの日程は掲示板などでお知らせしますから、スタッフである、なしにかかわらず、ぜひ立ち寄ってお声をかけてくださいね。そしてあなたの「子育ての足跡=体験談」や「こんなこと考えてるんだ〜」って気持ちも、よせていただけるとウレシイ。発信しながらつながる、いろんな人たちが相手を思いやって声を掛け合えるって、ステキでしょ。
こんな風にコソガイは皆さんと一緒にオモシロ気分を分け合いながら、お役に立ったり仲間や親子で過ごすステキな時間のきっかけになるといいなあ、と心から願っています。Can Can(コソガイ代表)
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「鎌倉子育てガイド」が、ツイッターを始めました。
コソガイの更新情報、スタッフのつぶやきなど、色々ツイートしていく予定です。ぜひご覧ください。
http://twitter.com/kosogai
コソガイの更新情報、スタッフのつぶやきなど、色々ツイートしていく予定です。ぜひご覧ください。
http://twitter.com/kosogai
kosogai: 鎌倉子育てガイド コソガイレポート : Twitter始めました! http://report.kosogai.com/archives/3233358.html
地域交流サロンに向けて作った手洗いソングが動画でお目見えです。
地域交流サロンとして高齢者と子育てファミリー、障害者が交流する場を作る活動(地域交流サロン)をしていた矢先にインフル騒動にあったコソガイ。とっても困った末に「秋には高齢者施設に子連れは立ち入れなくなる、来るのを楽しみにして下さった高齢者に会えなくなる!それどころか、こどもも、いつインフルにかかるか分からない。だとしたら、今できることはなんだろう?」という思いから、手洗いを身につけるためのオリジナル曲(振付つき)を作ったのでした。題して「マメマメ手洗いソング」マメに手を洗う歌です。
実際には、スタッフでママである看護師、福祉施設の元職員、読み聞かせの達人、工作インストラクターがアイディアを出したものを、演奏者・みみりんば(音楽家)が中心になって作曲して、シンガーズ(地域のコーラスさん)が歌い込み、まとめたのです。皆さんの合作ですね。
手洗いのツボをおさえた言葉で構成されていて一目でマネできる動作が入っていること、アップテンポでノリの良いメロディーであること、印象的なことば(擬音語・擬態語)が入っていること、専門家が見ても恥ずかしくない内容であること、なにより・・・一緒に踊って手を洗いたくなるような、たのしいのがいい!
そんな内容です。
撮影+録音の日は、朝からみみりんばと歌い込んだ3人のシンガーズ、必死で振付を考案し、練習したダンサーズ(振付を覚えたスタッフの皆さん)が、2歳から小2までのこどもたちを待ちうけ、演奏者のリードのもとぐいぐい引っ張って、固まっていたこどもたちを乗せました。
が、ここから凝り性のおとなたちのがんばりが始まってしまい、再撮影や高校生の手洗い図解の絵が入り、動画用に編集に次ぐ編集が入って、ここまで時間がかかりました。
今日は栄えあるユーチューブ・デビューです。
http://www.youtube.com/watch?v=Y-9nofNQaVU
どうぞ楽しんで元気に手洗い。インフルエンザを吹っ飛ばしてね!
投稿者:CanCan
■タウンニュース鎌倉版の記事はこちら
>>「マメマメ手洗いソング」で インフルエンザを吹き飛ばせ
■朝日小学生新聞の1面(2009年11月12日)でも紹介されました。
■動画DVDを市内の小学校・幼稚園・保育園に寄贈しています。
>>朝日新聞 湘南版 2009年12月8日の記事
※この記事を朝日新聞社に無断で転載することは禁止されています。
■神奈川新聞の記事はこちら
>>子育て世代の母親らの団体が「手洗いソング」を考案し、DVD化/鎌倉
この他にも、北海道新聞、岐阜新聞などでご紹介いただいています。
>>鎌倉子育てガイドとは?へ戻る
地域交流サロンとして高齢者と子育てファミリー、障害者が交流する場を作る活動(地域交流サロン)をしていた矢先にインフル騒動にあったコソガイ。とっても困った末に「秋には高齢者施設に子連れは立ち入れなくなる、来るのを楽しみにして下さった高齢者に会えなくなる!それどころか、こどもも、いつインフルにかかるか分からない。だとしたら、今できることはなんだろう?」という思いから、手洗いを身につけるためのオリジナル曲(振付つき)を作ったのでした。題して「マメマメ手洗いソング」マメに手を洗う歌です。
実際には、スタッフでママである看護師、福祉施設の元職員、読み聞かせの達人、工作インストラクターがアイディアを出したものを、演奏者・みみりんば(音楽家)が中心になって作曲して、シンガーズ(地域のコーラスさん)が歌い込み、まとめたのです。皆さんの合作ですね。
手洗いのツボをおさえた言葉で構成されていて一目でマネできる動作が入っていること、アップテンポでノリの良いメロディーであること、印象的なことば(擬音語・擬態語)が入っていること、専門家が見ても恥ずかしくない内容であること、なにより・・・一緒に踊って手を洗いたくなるような、たのしいのがいい!そんな内容です。
撮影+録音の日は、朝からみみりんばと歌い込んだ3人のシンガーズ、必死で振付を考案し、練習したダンサーズ(振付を覚えたスタッフの皆さん)が、2歳から小2までのこどもたちを待ちうけ、演奏者のリードのもとぐいぐい引っ張って、固まっていたこどもたちを乗せました。が、ここから凝り性のおとなたちのがんばりが始まってしまい、再撮影や高校生の手洗い図解の絵が入り、動画用に編集に次ぐ編集が入って、ここまで時間がかかりました。
今日は栄えあるユーチューブ・デビューです。
http://www.youtube.com/watch?v=Y-9nofNQaVU
どうぞ楽しんで元気に手洗い。インフルエンザを吹っ飛ばしてね!投稿者:CanCan
■タウンニュース鎌倉版の記事はこちら
>>「マメマメ手洗いソング」で インフルエンザを吹き飛ばせ
■朝日小学生新聞の1面(2009年11月12日)でも紹介されました。
■動画DVDを市内の小学校・幼稚園・保育園に寄贈しています。
>>朝日新聞 湘南版 2009年12月8日の記事
※この記事を朝日新聞社に無断で転載することは禁止されています。
■神奈川新聞の記事はこちら
>>子育て世代の母親らの団体が「手洗いソング」を考案し、DVD化/鎌倉
この他にも、北海道新聞、岐阜新聞などでご紹介いただいています。
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先日、横須賀商工会議所にて、ミウランド10周年記念事業の表彰式が開催されました。私たちの「鎌倉子育てガイド(コソガイ)」は第5回ホームページコンテストにおいて、個人の部グランプリを獲得しました!(コソガイは企業ではないので個人名で応募しました)
「ミウランド」は、三浦半島地域4市1町の自治体、商工会議所、商工会が組織する「三浦半島インターネット推進協議会」が運営する情報サイトです。地域の情報推進を目的に、ここ毎年ホームページコンテストが開かれています。
今回は10周年記念ということで、一次審査では一般の方によるWeb投票を取り入れていました。ご投票くださった皆様、どうもありがとうございました。
二次審査は、横須賀商工会議所に行って、企業・マスコミ関係者の前でのプレゼンテーション。選定基準は下記の通り。地域性を重視し、誰でも楽しめるサイトを審査基準の重点項目とします。
また、閲覧ソフトや画面の大きさに拘らず楽しめ、目的までの誘導性が高く、閲覧者の利便性に配慮があるかなどを基準とします。
実はこれ、結構自信あったんですよ。サイト作成時にいつも気を付けている部分ですから。ただ、短い時間でうまくアピールできたかどうか不安で、連絡があるまではドキドキでした。
表彰式で、受賞理由として次のようなコメントをいただきました。母親達が協力し合い、作成しているサイト。
口コミ情報を大切にし、掲載情報もリンク集ではなく、取材を元に作成をしている。 情報量はもちろんのこと市民・母親の参加型サイトとしても高評価。
コソガイの特徴がきちんと評価され、とても嬉しかったです。
コソガイは元々、トップページにもあるように「鎌倉での子育てをもうちょっと楽しくしたい、ラクにしたい、という願いを込めて…… 」母親達が自分たちのために作ったものです。運営を続けるうちに、口コミを寄せてくださる利用者の方、取材に協力してくださるお店やクリニックなど、地域の様々な人々との関わりが生まれ、次第に大きく育ってきました。
今では子育て世帯だけでなく、鎌倉地域で暮らす人全てのためのサイトでありたいと思っています。
皆様、いつも本当にありがとうございます。これからも、コソガイをどうぞよろしくお願いいたします。
なお、その他の受賞作品は下記の通りです。個人の部
準グランプリ
「花の家」
ブログの部
グランプリ
「三浦半島観光お役立ちブログ LIFE AT HAMANA」
準グランプリ
「ABC Kid's English Club」
特別賞
「LARUS' SHORELINE KANAGAWA」
事業所の部
グランプリ
「アロハス株式会社」
準グランプリ
「福の家」

おみやげに三浦4市1町にちなんだ品々をいただきました。横須賀イメージソングのCDなんてあるんですね〜。鎌倉の鳩サブレーはもちろん、横須賀の携帯サブレーもなかなかおいしかったですよ。でも昔のケータイならもっと巨大なはず?
はまかぜ新聞の取材記事はこちら>>
ミウランド10周年記念〜三浦半島のIT登竜門〜 第5回ホームページコンテスト受賞者決まる
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